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教員インタビュー|100年のあゆみ ~わたしと東北大学 Vol.05

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文学部・文学研究科の過去・現在・未来 ー後 編ー

東北大学創立115周年・総合大学100周年を記念して行われた対談の後編です。文学研究科長を務められた佐藤弘夫先生・森本浩一先生に対談していただきました。

聞き手は、現在文学研究科長を務める柳原敏昭先生です。

写真左から
対談者:森本浩一名誉教授(元文学研究科長)
    佐藤弘夫名誉教授(元文学研究科長)
聞き手:柳原敏昭教授(文学研究科長)

*この対談は、2022年11月18日に行われました。

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東日本大震災

柳原:今度は2011年3月の震災の話になります。これは文学部100年の歴史の中でも三本指ぐらいに入る大変な天災だったと思います。それぞれいろいろな経験をされていると思います。特に森本先生は震災直後の2011年4月から大渕憲一先生の下で副研究科長として震災直後の対応にあたられました。まず、お二人が3.11をどこでどんな風に経験されたというあたりからお話しをうかがいます。

佐藤:私は、当日講演会があったのですが、それが終わって中国に行く予定だったんです。その日は成田に泊まる予定でしたが、仙台を出発する直前に地震がありました。その後「佐藤先生は中国から帰れなくなっている」という噂が出たりとか、いろんなことがありました。
 私は、助手になった年にも宮城県沖地震に遭いました。その時の経験があるので、個人的にはいろいろ準備していて、それが非常に役に立ちましたね。

柳原:なるほど。森本先生はどうですか?

森本:私はちょうど仙台にいない時でした。離れていたので、インターネットを使って、学生の安否確認や情報共有につとめました。ネットを使ったコミュニケーションができたのはひとつの助けでした。

柳原:私は沖縄の久米島にいたんです。

佐藤:仙台に戻ってきたのはいつですか?

柳原:一週間後ですね。

佐藤:長岡龍作先生みたいに東京から自転車で戻ってくる人も。

森本:いろいろ武勇伝がありましたね。

柳原:森本先生は、3.11の時点で次の副研究科長ってことはもう決まってたわけで、この先どうするんだろうって相当気苦労があったのでは。

森本:そうですね。花登正宏先生の研究科長の任期がもうすぐ終わるというタイミングでした。引継ぎもすぐには行えない状況だったので、花登先生はご苦労されたと思います。4月に入って以降も、授業開始のメドが立たないところに、本部から「至急、各部局の授業日程を決めろ」なんて言ってくるわけです。ずいぶんあたふたしました。

柳原:授業が始まったのは連休明けでしたでしょうか?

森本:連休明けでした。5月6日が新入生オリエンテーションで、8月まで授業をやるという感じでした。

柳原:コロナ禍と比べるのは適切ではないかもしれませんが、震災の場合は最初に被害が出て、あとはだんだん復興していく、右肩上がりというか、そういうところはありましたよね。当時はもう一回来るかもしれないとか思ったかもしれないですが。

森本:その通りだと思います。教育への影響という点ではコロナ禍の方が大変ですね。

柳原:波がありますからね。
 佐藤先生は作家の柳美里さんと『春の消息』(第三文明社)という本を書かれた。これは震災と関わっているわけですよね。その辺のことを教えてください。

佐藤:私は今世紀に入ったあたりから研究テーマとして「死」の問題をずっと考えてきました。それまでは、死というものが歴史的にどう捉えられていて、それがどんな風に変わってきたのかという、外から見る視点だったんです。それが震災をきっかけにして、被災地をいろいろ回る機会があって、死というものを自分のこととして受け止められるような、学問でありながら、今までの学問を超えるような道がないか模索をはじめました。『死者の花嫁』(幻戯書房)が、そういう性格の本なんです。そうした中で、柳美里さんとたまたまある講演会でご一緒して、そこで意気投合して、じゃあ一緒に現場を歩きながらそういうことを考えてみようかということになって、この本ができ上がりました。本当は『春の消息』だけでなく、春夏秋冬四冊出すつもりだったんです。だけど予想ほど売れなくて、まだ夏秋冬出してもらえていません。

柳原:学問の方法にかなり震災の影響があったということですね。

佐藤:いろんな方とお会いできたことはいい経験でしたね。柳さんは一番原発の影響があるところにあえて引っ越して来て、そこで内側から復興を支援しようとされました。そういう姿勢っていうのはやっぱり凄いと思いましたね。

柳原:実はこの間、事故後初めて福島第一原発が見えるところまで行きました。

佐藤:私は柳さんと一緒に第一原発の中まで入りました。

柳原:やっぱり今行ってもショッキングな光景ですよね。同心円状に、人がほとんどいないところから、だんだんだんだん人の気配がしてきて、普通の街になっていくっていう。
 ところで、文学研究科では、この震災をきっかけにして、鈴木岩弓先生が中心になって実践宗教学寄付講座をスタートさせました。2012年からです。そのあたりは何かございますか?

森本:震災の後、大学全体が復興支援に力を入れ始めて、「おたくは何ができますか?」みたいな調査が来ました。それをまとめる過程で、文学研究科は意外といろんなことができるんだな、ということに気づきました。宗教学や心理学、日本史などが先導しましたが、私も実は芸術関連で支援協力したことがあります。そういう意味で、はからずも震災は文学部・文学研究科が社会貢献に目覚める契機になったと言えると思います。代表的なのが実践宗教学寄附講座ですが。

佐藤:鈴木先生はアイディアがあっていろんなことをなされていましたが、あの寄附講座はとても一所懸命やられていましたね。今では多くの大学が臨床宗教師の育成を行なっていますが、その先鞭をつけ、実際にできることを身を以て示した点で、東北大学文学研究科の存在感を高める上で大きな貢献になった思います。

森本:確かに、文学研究科がただの書斎派ではなくて、大学や社会に貢献できることを示せたのはよかったのですが、逆に言うと、この後の流れの中で、「社会貢献はやって当然」「大学は社会貢献をやらなくてはいけない」というのが自明になってきて、そちらに常にエネルギーを割かざるを得なくなったという面もあります。震災後、「社会貢献」だけでなく、「国際化」や「文理融合」といったその後の改革につながっていく課題も一気に出てきた、という気がします。

研究科改組

柳原:その話の流れで研究科改組の話に行きたいと思います。
 2019年の4月に文学研究科の組織改編がありました。4専攻を3専攻に再編成して、それから各専攻に目玉となるような専攻分野として「現代日本学」「実践宗教学・死生学」「計算人文社会学」を新設するっていうあたりが、外形的には目立ったところでした。そもそもこの改組の議論がスタートしたのは、佐藤研究科長の時ですよね。その時にワーキンググループが設置されて、第一回目の会議が開かれたのが2015年の7月31日でした。佐藤先生の研究科長任期の2年目ですよね。

佐藤:そうですね。

柳原:なぜか私が副研究科長の充て職っていうことでワーキンググループの座長になったわけですけれども、実は終始議論をリードされたのは森本先生でした。佐藤研究科長時代にほぼ研究科内で合意ができて、森本研究科長時代に学内や文科省との折衝を経て、2019年の4月から改組ということになったわけです。この改組というのは、佐藤先生と森本先生の合作のような感じがします。この改組を思い立ったあたりのことからおうかがいできますか。

佐藤:あの頃は、文系の部局に対する風当たりが非常に強い時期だったんですよね。縮小を前提とした改組が実際によその国立大学で起こっていました。なんら内在的な必然性がないにもかかわらず、改革がトップダウンで文系に押し付けられるという形です。文学研究科でも大学院は恒常的に定員割れしていましたので、このままいくと何らかのお達しが上から来るということで、自己改造ができることを示す必要があると思っていました。私は、文学研究科の一番の強みは基礎研究のレベルの高さだと思うんですよね。各専攻分野・各研究室に受け継がれてきた知のテクニックは絶対に廃れさせてはいけないものです。しかし、その一方で、社会から求められているものに、ある程度柔軟に対応できる必要がある。で、その求められるものは何かと言えば、一つは、おそらく国際共同大学院にも関りますけれども、人文学的な視点から「現代」をどうとらえるかという問題ではないか。それから当時、東北大学が先端を走っていた実践宗教学、あとは文理融合に関わるような分野だと考えました。これらを変革の軸にして10年ぐらいのスパンで、コアになる部分と、変えていく部分を腑分けしていかなければならない。ただこれをやるためには、それができる人が必要なんです。そう考えた時に、森本先生がいたんですよ。先生がいなかったら、私はこれを提案しませんでした。

柳原:最初、ワーキンググループの名称は「日本学専攻開設に向けた文学研究科組織改編ワーキンググループ」でした。日本学専攻開設がまずあったんですね。確か、最初の佐藤先生の案は既存の4専攻に日本学専攻を加える5専攻案でした。

佐藤:はい。きっかけとなるアイディアさえ出せば、あとは柳原先生と森本先生がなんとかしてくれるだろうということで、悪いけど一番大変なところを丸投げしてしまいました(笑)。

柳原:森本先生も最初から日本学がこれからの肝だっていうことは常におっしゃってました。

森本:それは作らざるを得ないだろう、というのはありました。

柳原:ワーキンググループではすぐに「5専攻は無理」という話になって、「1専攻」と「2専攻」の案を教授会に出したこともありました。結局「3専攻」になって、ではそれぞれに目玉が必要だという話になりました。「現代日本学」「死生学」があるとして、もう一つはなんだっていう時に佐藤嘉倫先生が「計算人文社会学」という新しい分野があるとおっしゃって、それを作ることが決まったという記憶があります。

森本:実は、この改組の萌芽はずっと前からあったのです。2004年の法人化の際に、教員人件費が大きな問題になりました。法人化スタート時点の人件費が、2003年度の教員数で確定されたからです。ところがこの年は、たまたま補充の関係で文学研究科の先生の数がすごく少なくなっていて、そのために人件費も減ってしまいました。非常に厳しい状況でのスタートになったわけです。もう一つは、大学院の定員充足ができていないという問題ですね。大学院重点化の後ですから、大学院生を何とか増やさないとやがてペナルティが来るという危機感がその頃からありました。最初の21世紀COEの「ウェルビーイング」の案を作るときも、部局の法人化ワーキンググループでも、前期課程の改編が必要ではないかという議論はしていたのです。法人化の後、私が最初に組織改革案を、鈴木岩弓先生が座長を務めておられた教育改善委員会に提案したのは2004年の11月でした。その後も大学院教育の見直しワーキンググループというものがあって、いろいろ検討はされていました。学術修士コースを作ろうという話があった2009年頃にも、私なりの改組案を提案した記憶があります。

柳原:森本先生は密かにそういう改革案を考えているんですよね。

佐藤:森本先生がかかわってきた改革へ向けての経緯を知っていたので、もうこれは先生にお願いするしかないと、そう考えたわけです。

森本:私が所属するドイツ文学は小さい研究室なので、現状のままで生き残れるのかという危機感が昔からあったのは事実です。大渕研究科長時代の2011年の暮れに、将来構想についてワーキンググループを作ってくれと言われて、その時は若手の先生四人、大木一夫先生、大野晃嗣先生、浜田宏先生、原塑先生に集まっていただいて、他大学の文学研究科の状況を調べるなど、ブレインストーミング的なことを始めました。この頃から留学生が増え始めていて、佐藤先生の日本思想史などは多かったですよね。研究室ごとの濃淡がひどくなってきており、これをどう解決してゆくかも課題のひとつでした。ただ、先走っても受け入れてはもらえないわけで、とにかくみなさんの意見を聞こうということで、2013年、大渕研究科長3年目の夏に組織改編に関する賛否アンケートをやったんです。結果は賛否ほぼ五分五分、「どちらかと言えば反対」と「反対」が半分よりちょっと多いぐらいでした。まだ機運が高まっていないなということで、大渕先生の時代はそこまででした。

柳原:そのアンケート、私が総務企画室長の時にやりました。夏休みがそれでつぶれた。

森本:アンケートでは、教授陣の方が反対が多いという結果が出ていましたね。この時はまだ無理だねということでストップしたのですが、議論を止めるわけにはいかないという判断を次の佐藤研究科長もなさったので、2014年にも引き続き検討は続けました。私は休養期間だったのですが。

柳原:そうそう。

佐藤:申し訳ないと思いつつ、森本先生のところに足を運びました。

柳原:あの時は佐藤吉和事務長の存在も大きかったですね。

佐藤:改組は佐藤事務長がいなければ難しかったですね。

森本:大学本部・文科省との折衝の山場は2017年で、佐藤事務長の最後の年でした。彼の行動力には本当に助けてもらいました。ただ、文科省に3回ぐらい行きましたけど、意外とスムーズに進んだので、こんなものなのかとちょっと驚きました。

柳原:昔は相当いろいろなことを言われるっていう話がありましたけど。

森本:はい、戦々恐々としていたんですけどね。ただですね、私の個人的な思いとして言うと、今回の改組はまだ道半ばというか、妥協的なものだったなというやり残し感はあります。文学研究科の組織上の一番の問題は小講座制的な研究室体制です。人件費的にも学問分野的にももうそれではやっていけないことは明らかなので、なんとかそこに踏み込みたかったのですが、19年改組の時点ではそこまでは行けなかった。

佐藤:いや、でも本当に、難しいことやっていただいたと思います。

文学研究科の国際交流

柳原:それではまた話を進めます。今度は国際交流の話です。研究科としては、国際交流というのはもちろん連綿としてあるわけですけれども、国際交流を専門とする部署が作られたのが大渕研究科長の時で、初代室長が森本先生でした。

佐藤:大変なところをみんなやっていますね(笑)

柳原:さらに佐藤研究科長の時代になって急激に国際交流が拡大しました。その象徴的存在が「支倉リーグ」であり、「日本学国際共同大学院」ということになります。日本学国際共同大学院は後で扱うこととして、支倉リーグを中心にして、現在につながるような国際交流のことを話題にしたいと思います。まずは国際交流室を設置する経緯みたいなところからお願いします。

森本:2008年の留学生30万人計画あたりから教育の国際競争力が言われるようになり、国もいろいろ施策を出してきます。国際化拠点整備事業(グローバル30)からグローバル人材育成プログラムへと続く流れです。東北大学はいずれにも採択されました。グローバル人材は2012年からでしたね。ちょうど大渕研究科長の頃で、文学研究科・文学部もそろそろ国際交流をちゃんとやらないといけないという話になります。それまでは高橋章則先生が留学生担当を一人で担っておられたので、組織の整備が必要だということで準備を始め、村上祐子先生を採用して13年から国際交流室がスタートしました。

柳原:次は、支倉リーグのお話をお願いします。

佐藤:日本学を軸とする国際交流は、最初は高橋章則先生、尾崎彰宏先生、フォンガロ先生の三人が、自発的に一所懸命やってくださいました。ネーミングがいいんですよね。「支倉リーグ」とか「シーボルトプログラム」とか。これを吸収するような形で、拡大する方向にうまく持っていけないかと考えました。そして、どうやって他の部局の協力を得て文系としてやって行けるかという模索の中で出てきたのが、日本学国際共同大学院の構想なんです。

柳原:コロナ禍でこの3年間ぐらいはリアルな国際交流が難しかったわけですけれど、佐藤先生の時代は東北多文化アカデミーと連携して、たくさんの短期プログラムを受け入れました。

佐藤:研究科の中だけではマンパワーに限界があるので、外部と協定を結んでお互いにサポートしあえるような形が一番いいだろうということで、東北多文化アカデミーとの連携を考えました。外の組織と連携することに対して色々意見はありましたが、もうそういう時代なんだと思って積極的に進めました。

森本:留学生は中国からが圧倒的に多いわけですが、支倉リーグやシーボルトプログラムがあることでヨーロッパからも来てもらえるようになったのは、とても意義がありました。リアルな交流を早く復活できるといいのですが。

日本学国際共同大学院プログラム

柳原:日本学国際共同大学院の話が出ましたので、次に進んでいきたいと思います。今、大学院の形がずいぶん変わっています。学生が単一の研究科に属して、そこで研鑽を積んで学位をとっていくっていう形だけではなくて、研究科横断型のプログラム大学院にも属して、専門以外のことも学んでいくという形が増えてきています。文系では唯一、日本学国際共同大学院が、国際共同大学院として全学的に設置されています。佐藤先生はそこの専任教員ですね。佐藤先生は立ち上げの時もずいぶん関わっていらっしゃいますので、そのあたりの話をお願いします。

佐藤:留学生がどんどん増えていて、部局がばらばらに対応していて、そこに貼り付ける人もいない。なんとかしなくちゃいけないという時に、文科省のスーパーグローバル大学構想の「国際共同大学院」に東北大学が採用されたんです。最初は学内に4つでき、その後も2つできたのですが、すべて理系なんですよ。これは絶対まずいと思って、国際共同大学院を名目にして文系全体で何かできないだろうかということで、佐藤(吉和)事務長に相談しました。じゃあ何がいいかというと、まず思い浮かんだのが支倉リーグやシーボルトプログラムをやってきた高橋先生、尾崎先生、フォンガロ先生です。お三方がいなければとてもできなかった試みです。それで、日本学で共同大学院を立ち上げようということになって、佐藤事務長と文系部局をすべて回って了承を取り付けました。私はそのとき「一つでもこれに入らない文系の部局があったならば、やらない」と思っていたんです。そのことをいつも公言していたんですが、それが結構脅し文句になったみたいです(笑)。部局によってかなり温度差がありましたが、最終的にはすべて了承いただいて、あとはもう得意の丸投げで尾崎先生に全部お願いしました(笑)。尾崎先生を中心にして若い先生方にもご協力いただきました。分野を超えて教員同士の交流が進みましたし、学生も、優秀なメンバーが様々な垣根を越えて集まってくれました。この3月に第1回のプログラム修了生が出る予定です。なかなかすごいですよ。3年で博士号を取って、レフェリー付き雑誌論文が8本ぐらいあるんです。今までは考えられないくらいのスケールの学生が生まれていますね。昨年9月の支倉サミットに参加したときも、感無量でした。私はサミットの準備には関わっていませんでしたが、関係された先生方のご苦労を思って胸が熱くなりました。

柳原:支倉サミットは、最初に話をもらったのが今年の1月19日でした。次期部局長と総長の懇談会があって、その場で「支倉サミットをぜひやってください」って言われたんです。そこで大野(晃嗣)プログラム長に相談したら「やりましょう」って話になりました。開催時期が決まったは3月の末で、それから半年もたたずに開催できました。準備期間中はものすごく大変でしたけれど、支倉リーグのネットワークが強固なので、海外のDeanにたくさんお出でいただくことができました。

佐藤:高校生に来てもらったのはいいアイディアでしたね。

柳原:本当に日本学国際共同大学院運営委員の先生方はすごいですね。パワーも能力も。全然苦労をいとわないところがあって。本当にびっくりしました。森本先生は何かございますか?

森本:そうですね。とにかく法人化後の大学の教育研究運営は、常に新しいことにコミットしていかざるをえない状況に置かれてきたと思います。研究の国際競争力強化ということで21世紀COEやGCOEがありましたけれども、その後2011年から2012年の頃に、リーディング大学院が話題になりました。この頃から従来われわれがイメージしていた「学部の上に乗る大学院」とは違う「部局横断的な大学院」が明確に姿を現してきて、初めはなかなか馴染めなかったわけですが、徐々にやらざるを得ないという形勢になってきた。2017年の指定国立大学の申請書の中にも、2030年には大学院の半分はこのディシプリン横断型学位プログラムにするという、いわゆる東北大学高等大学院の構想が書き込まれました。おそらくそれもあって、人文社会系でも一つ作ろうという流れになり、国際共同大学院に日本学を加えてもらえたのだと思います。こうした大学行政の方向性とのすりあわせも大事なわけで、日本学の場合はそれが良いかたちの結果になりました。
 日本学国際共同大学院も研究科改組も、佐藤研究科長の代になって本格的に動き出しました。研究科をとりまく環境がますますシビアになり、ただ自分の研究をやっているだけではだめで、外部資金獲得とか新しい学位プログラムとかに挑戦してゆかざるをえなくなってきたということです。ただ、幸いなことに、文学研究科はそれができるポテンシャルを秘めていた。結構強みがあるということに気づけたと思うんですね。リーディング大学院の頃は周辺的な協力しかできませんでしたが、国際共同大学院で日本学が立ち、その後の卓越大学院でも、理系部局と連携して、文学研究科の特性を活かした学際融合をともかくスタートさせることができたと思います。さきほど触れた大学院教育の大きなシステム転換の流れに、それなりにキャッチアップできている。もちろん直接関わっていらっしゃる先生方のご負担が大変で、それは課題として残っていると思います。

柳原:「日本学」という発想は、高橋先生、尾崎先生、フォンガロ先生のところと、森本先生のところの2つルーツがあるんですかね?別個に考えていたんですか?

森本:いや、日本学は高橋先生ら日本系の先生方のアイディアと研究人脈からして出てきたものだと理解しています。

佐藤:日本学国際共同大学院の「日本学」は、日本で行われている人文社会科学系の学問の総称としての「日本学」ですね。

柳原:日本学国際共同大学院の「方法としての日本学」がなかなか理解されないっていうことをずっと森本先生もおっしゃっていたのですが、今ではプログラム長の大野先生をはじめ「これで良かった!」っておっしゃっていますね。地域研究としての日本学とは違ったものが必要だと。国際共同大学院はそれをコンセプトにして行くべきだっていうことを積極的に主張されるようになりました。

佐藤:文系が全部入らなければいけないということを考えると地域学だけじゃダメなんですよね。

森本:ダブルディグリー(DD)を組み込んだ点も文学研究科としては挑戦的でしたね。DDは法学や教育学が先を行っていて、活動報告会を聞きに行ったりFDに来てもらったりしました。手探りで規程作りをしていた頃は、実際これでできるんだろうかという不安もありました。

柳原:DDでの学位取得者はまだ出ていませんけれど、もうすぐ、日本学国際共同大学院の修了生をはじめ、今後増えてくると思います。

森本:われわれが国際共同大学院の準備を進めていた頃は、全国的に日本学を称する学部や研究科が増えましたよね。明治大学で国際日本学部ができるとか。東北大学の内部でも先行して学際重点拠点のプログラムが動いていました。やはり一つの機運みたいなものがあって、うまくそれに乗れたかな、とは思います。

佐藤:今も続々と出来ていますよね。

未来への展望

柳原:それでは、そろそろ「未来への展望」の話題に入りたいと思います。今日もしばしば話題になりましたが、人文社会科学というのは常に風当たりが強いというか、社会、ともすれば権力の側から存在意義を問われています。2015年の7月に研究科改組のワーキンググループができた、その1ヶ月前に「人文社会科学はもういらない」みたいなことを文科省筋から言われています。最近ですと、教育未来創造会議っていうのが今年の5月に第一次提言というのを出しました。そこには、「自然科学分野の専攻学生の割合が35%しかいないので、5年から10年で50%にする」とある。逆に言えば人文系は軽視ってことですよね。こんな状況がある一方で、文理の垣根を越えた総合知が大切ともいわれています。さらに国際化の問題があり、それから若手や女性研究者の活躍の場をもっととか、あとは10兆円ファンドとかいろんな課題があるわけです。そういうなかで人文科学・社会科学の拠点たる文学部・文学研究科が何をめざして何をしたらいいのかっていうあたりを、なかなか重い課題ですけど、聞かせてください。

佐藤:私は人文社会科学の果たすべき非常に大きな役割は、権力に吸収されない独自の公共空間を立ち上げ、それをきちんと守っていくことだと思います。戦前・戦中のように、公共空間が天皇史観一色に覆われて自由な言論や発想が窒息させられる状況を避けるために、学問の自律をきちんと守っていくことは、私たちの一番大事な使命だと思います。その一方で、ただ世間に迎合するのではなくて、社会の要望にきちんと答えられる学問を作っていく必要があります。
 今、トップクラスのビジネスマンには人文学の基礎的な素養に対する要望が結構あるんです。彼ら彼女らには、世界に出たとき、日本のことをきちんと語れなければいけないという問題意識があるんですね。そのときにじゃあ何を語るかというと、今は「縄文以来のアニミズムの伝統」しかないんです。だから、豊穣な日本の伝統を事実に即して外国人にも分かりやすく語れるような、そういうストーリーをぜひ提供してほしいといわれます。今世界のビジネスマンに一番読まれているのが、ハラリの『サピエンス全史』です。あの本は世界中で何千万部も売れています。あれを読むと取り上げられている一つ一つの根拠資料はみんな知っていることなんですね。誰でもアクセスできるデータなんですよ。ハラリ自身のオリジナルな見解というのはそんなに多くないと思いますね。ただそれを集めてきて、大事なものを抜きだして、一つの壮大なストーリーに組み上げていく力がすごい。たぶん日本の人文学に一番欠けているのがその部分じゃないかなと思います。繰り返しますけれども、基礎的な学問の力を養うことが東北大学にとって大事な使命であることはまちがいない。その上でそうした学問をどういうふうに新しく開いていくのか。そのためには、やはり問題意識を持たなければいけない。問題意識を鋭くするためには常に自分を外の世界に開いて、議論を重ねていかなければいけない。だから、我々教員がそういうことを率先してやっていくと同時に、学生諸君にそういう場を提供して行く。その中から自分で考えて問題を発見して、独自のストーリーを作れるような、そういう力をつけてほしいと思っています。

柳原:ありがとうございます。森本先生はいかがですか。

森本:そうですね、行政はどうしたって経済第一で考えるので、「理系優先」の言説が出てくるのは、いつものことですね。学徒出陣の時代からそうだったわけです。そういうものはあまりいちいち気にしないことが大事だと思います。
 文学部・文学研究科のこれからを考える場合、二つの課題があると思っています。社会の状況が21世紀は大きく変わり、それまでのモノ中心から情報中心の社会になったと言われます。そうした中、例えば学生の就職先がすごく変わってきたなという印象があります。民間の業種が多様化し、人文系の学生も情報関連のさまざまな企業に採用されるようになりました。これはやはり注目するべきところで、佐藤先生が今おっしゃったように、深い教養を身につけて現代社会の問題に対応していけるような人材を育成していくということですね。さきほどからの話に接続すると、国際性、文理融合、社会貢献といったポテンシャルを、研究面だけでなく教育面でも伸ばしてゆく、同時にそのことをもっと社会にアピールしていくことも大事だと思います。
 ただ他方で、従来の人文学研究のコアな部分をどう守るかという、学問的な継承の問題があります。リアルな社会的要請にそれが合致できればいいのですが、どうしてもそうならない部分があるわけです。古い文献をとにかく地道に読んでいくみたいな研究を経済発展に結びつけるのは難しいし、してはいけないとも言える。ただ、そういう分野に若者が関心を持たなくなってきている現実もあります。例えば歴史離れというのがそうですね。だから、ただ伝統の重要性を訴えるだけでは先細りは目に見えています。これをどうやって盛り返して行くかという重い課題があると思います。

柳原:新潮社だったかな?漢和辞典の編集部の人がツイートしたらしいです、「もう日本では新しい漢和辞典は作れない」と。

森本:そういうところですね。これはもう一大学とかではなくて、各分野の学会を含めて真剣に考えていかなくてはならないテーマですね。

柳原:ありがとうございます。日本文化研究施設の教員一覧に戻りますけど、なんかこういう組織がもう一回できないかなって思いますね。文学研究科単独では無理かもしれないですけど。若手研究者養成がすごくいわれて、ポストを作るようにといわれているところですから、日本文化研究施設の現代版ができて、それが日本学国際共同大学を下支えしたり、あるいは最近「国際学士コース」という話もあるから、そちらにも関わってもらうというのが現実的にはとてもよいように思います。そこから人材がたくさん出てくれれば・・・。

森本:さきほどの話題に一つだけ付け加えさせていただくと、これは文学研究科のアイデンティティに抵触するかもしれないのですが、特に人文系のように規模的に大きくない分野では、もはや個々の大学の部局という枠組で研究教育を完結させることには限界があるように思います。大学を越えた協力が必要なのではないか、ということです。国立・私立を越えた国内、あるいは海外をも含めた形での研究教育の連携が進めば、学生も育てやすくなるでしょう。一方で最近出てきている大学の統合という話は、財政的・行政的な動機が先に立つのでどうしても警戒的にならざるをえないのですが、垣根を越えて人的協力を進めるという観点からの前向きな発想はあってもいいのではないでしょうか。

佐藤:必然性のない統合ではなくて、きちんと目的を持った形での再編成はあっていいと思いますね。

柳原:話は尽きませんが、予定の時間をオーバーしています。本日は、興味深くかつ未来が少し明るくなるようなお話しをうかがうことができました。ありがとうございました。

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佐藤 弘夫(Hiroo Sato)

略歴

1978年3月東北大学大学院文学研究科博士前期課程修了。博士(文学)。1985年盛岡大学専任講師。1992年東北大学文学部助教授、2001年同大学大学院文学研究科教授。2014年4月~2017年3月、文学部長・文学研究科長。2019年より東北大学名誉教授。同年教授として再任用されて現在「日本学国際共同大学院」を担当している。
著書に『日本人と神』(講談社現代新書、2021年)・『神国日本』(講談社学術文庫、2018年)、『死者の花嫁』(幻戯書房、2015年)などが、作家の柳美里氏との共著に『春の消息』(第三文明社、2017年)がある。

森本 浩一(Koichi Morimoto)

略歴

1985年3月 東北大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。1986年4月 横浜国立大学教育学部講師(1988年より助教授)。1996年10月 東北大学文学部助教授。2003年6月 同大学院文学研究科教授。2017年4月~20年3月、文学部長・文学研究科長。2022年より東北大学名誉教授。同年、東北大学教養教育院総長特命教授(現在に至る)。専門は文学の理論、ドイツ文学、言語思想。
著書に『デイヴィドソン』(日本放送出版協会、2004年)。主要論文に「隠喩と虚構」(2002年)、「物語経験の時間性」(2016年)など。

柳原 敏昭(Toshiaki Yanagihara)

略歴

1990年3月東北大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。1990年4月鹿児島大学法文学部講師、1991年同助教授。1997年4月東北大学文学部助教授(2007年より文学研究科准教授)、2010年同文学研究科教授。2020年4月~23年3月、文学部長・文学研究科長。専門は日本中世史。
著書に『中世日本の周縁と東アジア』(吉川弘文館、2011年)、編著に東北の中世史1『平泉の光芒』(吉川弘文館、2015年)など。

佐藤 弘夫(Hiroo Sato)

略歴

1978年3月東北大学大学院文学研究科博士前期課程修了。博士(文学)。1985年盛岡大学専任講師。1992年東北大学文学部助教授、2001年同大学大学院文学研究科教授。2014年4月~2017年3月、文学部長・文学研究科長。2019年より東北大学名誉教授。同年教授として再任用されて現在「日本学国際共同大学院」を担当している。
著書に『日本人と神』(講談社現代新書、2021年)・『神国日本』(講談社学術文庫、2018年)、『死者の花嫁』(幻戯書房、2015年)などが、作家の柳美里氏との共著に『春の消息』(第三文明社、2017年)がある。

森本 浩一(Koichi Morimoto)

略歴

1985年3月 東北大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。1986年4月 横浜国立大学教育学部講師(1988年より助教授)。1996年10月 東北大学文学部助教授。2003年6月 同大学院文学研究科教授。2018年4月~20年3月、文学部長・文学研究科長。2022年より東北大学名誉教授。同年、東北大学教養教育院総長特命教授(現在に至る)。専門は文学の理論、ドイツ文学、言語思想。
著書に『デイヴィドソン』(日本放送出版協会、2004年)。主要論文に「隠喩と虚構」(2002年)、「物語経験の時間性」(2016年)など。

柳原 敏昭(Toshiaki Yanagihara)

略歴

1990年3月東北大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。1990年4月鹿児島大学法文学部講師、1991年同助教授。1997年4月東北大学文学部助教授(2007年より文学研究科准教授)、2010年同文学研究科教授。2020年4月~23年3月、文学部長・文学研究科長。専門は日本中世史。
著書に『中世日本の周縁と東アジア』(吉川弘文館、2011年)、編著に東北の中世史1『平泉の光芒』(吉川弘文館、2015年)など。