人物編|名言集
ここでは、歴代の教授や卒業生などの残した名言を通して、東北大学に受け継がれる教育・研究的精神の神髄に迫ります。
大学とは、新たなる進歩を企て、文明の先頭に立って進まんとするものである
澤柳 政太郎(初代総長)
ー 東北大学の理念を創った初代総長 ー
東北帝国大学初代総長になる1年前に発表した論文の一節。
大学は「学術研究」が本来の務めであり、より深い研究のためには様々な分野の学者が交流・競争できる「総合制」でなくてはならぬ、と「総合大学」構想主唱。目指すは日本において欧米文明の後追いではない「研究大学」の創立であった。建学の理念の一つ「研究第一主義」の東北大学の礎を築く。
産業は学問の道場なり
本多 光太郎(第6代総長)
ー 鐵の神様、鐵鋼の父 ー
常々口にし、揮毫した言葉。「実学の東北大学」の伝統の神髄を感じさせる。
東北大学が開発した技術を実践し、鍛錬する道場となる製造業社の創立と発展にも精魂を傾けた。「技能だけではなく工業道徳がないと真に優良な工業品は作れない」という趣旨の言葉も残した。
「鐵は国家なり」の時代の日本の製鉄産業の技術を支え、国家産業全体の発展に貢献。
物に親しむ、物がすべてを教えてくれる
黒田 チカ(東北帝国大学理科大学化学科卒)
ー 数々の“女性の日本初”の業績を残した「紅(べに)の博士」 ー
東京女子高等師範学校の助教授から、29歳で東北帝国大学に入学した日本初の女性大学生の一人。「日本の有機化学の祖」真島利行の指導を受け、天然色素の研究に取り組む。
著書に記した標記の言葉からは、紫根の結晶の構造式の決定に2年、紅の構造式の決定に5年を費やした研究姿勢が偲ばれる。
「門戸開放の東北大学」を象徴する日本の女性の先達。
若き日に汝の希望を星につなげ
松前 重義(東北帝国大学工学部卒)
ー 通信の革命たる無装荷ケーブルを発明。東海大学を創設 ー
若者のための私塾「望星学塾」で掲げた教育の指針4カ条の一つ。
松前は、長距離・複数回線通話を可能にした無装荷ケーブルの発明者。技術官僚トップとして科学的なデータから戦争の早期終結を唱えたが、首相の逆鱗にふれ一兵卒として南方の激戦地に飛ばされた。
科学技術立国による日本再建を目指し東海大学を創設。教育者、国会議員、国際柔道連盟会長など多様な側面を持つ。
学んだことの唯一の証は、何かが変わることだ
林 竹二(東北帝国大学法文学部哲学科卒、元教育学部長)
ー ソクラテスを理想とする対話の教育者 ー
著書での言葉。
総合大学だからこそできる教師育成に希望を見出し、教職課程を分離独立させる宮城教育大学の創立に反対するも、ぶれない姿勢に周囲の信頼を得、同大学長に選出。
大学紛争時にはバリケードをものともせず学生と討議。退任後も全国の小中学校、高校などへ300回も授業をして回り、ソクラテスの問答法とその精神を実践した。
ただの枯葉ではなく、次の世代への価値ある枯葉でありたい
亀谷 哲治(薬学部初代教授・薬用植物園長)
ー ステロイドホルモン等の人工合成と創薬を実現 ー
薬学部長時代、薬友会機関誌に寄稿した学生に向けた文章の一節。
亀谷の生涯の研究論文数は2,000報を超えるとも言われ、さらにある年にはハイインパクト論文ランキングで日本第一をも記録。
副作用が極めて少ない「愛の鎮痛剤」と呼ばれたペンタゾシンの合成法など、人間をつらい痛みから開放する数々の創薬の実現と進歩に大きく貢献した。
正統の頑迷さがなければ、異端のかがやきもない
樋口 陽一(東北大学法学研究科博士課程修了、元法学部教授)
ー 憲法学・比較憲法学の権威 ー
全学教育広報誌『曙光』に寄稿した文章の表題。
「判らぬもの」への敬意があればこそ、権威や時として虚飾に護られた「判らぬもの(⇒正統)」を破壊して新しいもの(⇒異端)を創造する力が、生まれてくる、と論じた。
当時では異例の東京大学への転出招請を受け、東大教授時代、学生からは『学識、人格共にトップ』と評判。スキー、謡、日本舞踊も嗜んだ伊達男。
【参考資料】阿見孝雄著(東北大学法学部卒)河北選書『言葉が独創を生む-東北大学 ひと語録-』河北新報出版センター刊
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