教員インタビュー|100年のあゆみ ~わたしと東北大学 Vol.02
佃 良彦名誉教授(経済学研究科)
佃良彦名誉教授は、東北大学の経済学部を卒業後、東北大学大学院経済学研究科に進学。その後は、教員として本学の経済学部の教授、学部長を務め、理事として大学運営にも携わってきました。また、経済学部の国際交流支援室を立ち上げるなど本学の国際化の端緒を開き、世界で活躍する人材を育ててきました。
東北大学115年の歴史のうち50年以上を、さまざまな立場から見てきた佃先生に、これまでの東北大学とご自身との関わり、そして今後の本学のあるべき姿について聞きました。
米国テキサスA&M大学への留学が人生を変えた
ー佃先生は、本学の経済学部に入学し大学院経済学研究科へと進学しましたが、どのような学生生活を過ごしていたのですか
私が入学した1966年は、高度経済成長期の真っ最中で、大学では学生運動が盛んな時期でした。東北大学でも講義棟が占拠されたり、授業が半年間ない時期があったりしました。
授業がなく、自分で何か勉強しなくちゃいけないと思っていた頃、1968年にノーベル賞に経済学賞が新しく設けられたことを知りました。興味を持って経済学の勉強を始めると、面白くなって、大学院に進むことにしました。私は、もともと数学や物理学が好きだったこともあり、大学院では、経済学の知識に加えて統計学や数学の知識も求められる、計量経済学を専門的に学びました。
ー本学を卒業後、山形大学に勤めていた間に、アメリカのテキサスA&M大学の統計学部大学院に2年間留学し、博士号を取得しました。佃先生にとってどのような経験でしたか
今考えると、私の考え方や人生を変えた、これまでで一番大きな出来事だったと思います。テキサスA&M大学の統計学部大学院では、通常3年かかる博士課程の授業を2年で修得して、日本に帰ってきてから博士論文を書き上げました。授業は日本の大学と比べるとかなり厳しかったのですが、一方で、実力を見せれば認めてもらえるという確かな実感がありました。遠慮せずに、場合によっては教員と議論することもいとわずに、自分の意見を主張することの大切さを知りました。
統計学部大学院にいた日本人は私1人だけでしたので、日本の事情について聞かれることが多かったです。こうした経験から、外から日本を見て考えることの重要性も身にしみて感じました。
文系学部で最も早く国際的学びに取り組む
ー1987年から佃先生は本学経済学部の教員を務めています。ゼミでは、どういったことを心がけて指導してきましたか
ゼミで扱う内容は、私の専門である計量経済学に特化することはしませんでした。日本の経済がどういった状況にあるのか、そもそも経済学とは何かなど、幅広く本質的なテーマを扱うことが多かったです。これは数学が苦手な学生が多いことに加えて、卒業後に社会に出て働く学生がほとんどだったことが理由です。広く経済学について学びながら、卒業後の人生の指針を与えられるような教育を目指していました。
ー佃先生は2003年に経済学部の国際交流支援室を立ち上げ、初代室長を務めるなど、本学の国際化にも大きく貢献してきました
国際交流支援室スタッフと支援者の皆さん
当時は、今ほど大学のグローバル化が進んでおらず、日本でも国際的交流を取り入れた大学教育が求められ始めた時期でした。私自身も留学中の学びの経験から、日本の中に閉ざされていてはダメだなと以前から感じていました。そこで、経済学部でも留学など国際的な学びを支援する組織として、当時、経済学研究科の講師だった末松和子さん(現東北大学グローバルラーニングセンター副センター長)と共に国際交流支援室を立ち上げました。
こうした動きは、文系学部の中では最も早かったのではないでしょうか。
海外からの留学生には、滞在ビザの申請手続きから住居探しまで、大学での学びに限らず日本で生活するために必要なさまざまな支援を行ってきました。大学が学生の生活に関わるところまで面倒を見てくれる、困ったときにすぐに相談できる、そうした環境はとても喜ばれました。
日本人学生の海外留学支援では、TOEFLの受験サポートや、留学する大学選び、留学先での心構えなど、留学までの道筋を系統的に支援しました。
国際交流支援の活動の一環として経済学部では、2008年にドイツのパダボーン大学と学部間の交流協定を結びました。これが大学間の協定にまで広がり、大学全体で交流するようになりました。今では、毎年10名ほどの東北大学の学生がパダボーン大学を訪れ、現地の学生と交流会を行っています。
東北大学から世界で活躍するリーダーが生まれてほしい
ー2012年からは理事として、本学の財務やキャンパス計画に関わってきました。印象深い出来事を教えて下さい
写真提供:キャンパスデザイン室
2017年、東北大学の片平キャンパスは、国土交通省が主催する都市景観大賞の「都市空間部門」特別賞を受賞しました。東北大学には、戦前から残る歴史的な建造物が多くあります。そういった建造物が保存されていることと、市民に開かれたキャンパスであることが評価されました。大学のキャンパスがこの賞を受賞したのは、東北大学が全国の大学で初めてのことです。
植樹を行う大野英男現総長(左)と里見進前総長(右)
2018年の3月には、青葉山新キャンパスの植樹式を行いました。2008年に創立100周年を記念して設立された東北大学基金活動の一環として、本学卒業生から桜の木を寄付していただきました。植樹式では、寄付していただいた100本以上の桜の苗木を青葉山新キャンパスから青葉山ユニバーシティ・ハウスまでの道に植えました。
ーこれからの100年、東北大学はどうあって欲しいと願いますか
大学を取り巻く環境は時代と共に変わっていきますが、大学の使命は変わりません。それは、教員が研究をし、学生一人一人に考える素材を提供していくことです。そして、学問の成果を社会に発信し、人類に貢献することが大切です。東北大学から、世界で活躍するリーダーになるような人が生まれていってほしいです。
佃 良彦(Yoshihiko Tsukuda)
略歴
1947年茨城県生まれ。
1966年3月千葉県立佐原高等学校卒業。
1971年3月東北大学経済学部卒業、1975年3月東北大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学、1985年6月テキサスA&M大学統計学博士取得。
1975年4月山形大学人文学部専任講師、1979年10月同助教授、1980年5月京都大学経済研究所客員研究員、1981年12月テキサスA&M大学客員研究員を経て、1987年4月東北大学経済学部助教授に着任。1989年1月から2012年3月まで東北大学経済学部教授(1999年からは経済学研究科教授)を務めた。
2004年には経済学研究科副研究科長を務めるとともに国際交流支援室を立ち上げその室長を兼任。2008年4月より同経済学研究科長を務め、2012年から2018年には東北大学理事(財務・施設・キャンパス計画担当)として本学の運営に尽力された。
佃 良彦(Yoshihiko Tsukuda)
略歴
1947年茨城県生まれ。
1966年3月千葉県立佐原高等学校卒業。
1971年3月東北大学経済学部卒業、1975年3月東北大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学、1985年6月テキサスA&M大学統計学博士取得。
1975年4月山形大学人文学部専任講師、1979年10月同助教授、1980年5月京都大学経済研究所客員研究員、1981年12月テキサスA&M大学客員研究員を経て、1987年4月東北大学経済学部助教授に着任。1989年1月から2012年3月まで東北大学経済学部教授(1999年からは経済学研究科教授)を務めた。
2004年には経済学研究科副研究科長を務めるとともに国際交流支援室を立ち上げその室長を兼任。2008年4月より同経済学研究科長を務め、2012年から2018年には東北大学理事(財務・施設・キャンパス計画担当)として本学の運営に尽力された。