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歴史編|法文学部の誕生

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法文学部の誕生

佐藤丑次郎

大正に入り帝国大学における新しい学部の増設が求められるようになるなか、当時の文相中橋徳五郎は新学部の設置を立案し、臨時教育会議において第三代総長の福原鐐二郎が構想した「文学・政治・経済」の三部門が、東北帝大における新学部の構成要素に決まります。

この構想の実現のため中橋文相は、当時京都帝国大学法学部教授であった佐藤丑次郎を創立委員に指名します。佐藤は東北(山形県)の出身で旧制二高の卒業生であり、彼が専攻する政治学は、法学・史学および経済学に関わるため、法学士・文学士および経済学士を出すべき法文学部初代学部長に適任である、という理由からでした。

佐藤は、諸学を蛸壺的な形でしか受容していない当時の大学教育のあり方を後進国の弊害と考え、法学・人文科学・経済学に関する幅広い教養を身に着け、社会の実情にも通じた、教養人としての「紳士教育」を提唱します。

東北帝国大学法文学部・正門(現在の東北大学正門)

「真理・自由・道義」というモットーを掲げ、講義を学生が自由に選択できる自由聴講制を導入しました。そこには、官僚養成に重点を置いた明治の大学教育とは一線を画した高等教育を導入しようとする佐藤の意図がありました。

東北帝大であれば、やりたいことをやれる。そんな生気に満ちた俊英が、佐藤の構想の元、初期教授陣候補に選ばれます。そのほとんどが30歳前の新鋭でした。法文学部の開設に先立って、彼ら若い研究者は欧米への留学に出発します。これは、仙台の地に新しい文系の研究拠点を創設しようという佐藤の強い思いの表れでもありました。

そして1922年8月29日の勅令により、憲法学1・民法学1・経済学1・史学2・哲学1・印度学1・心理学1の8講座をもって、東北帝国大学法文学部が誕生しました。

法文学部女子学生同窓会「芝蘭会」の会合のようす(1936年ころ)。法文学部では設置時から規定によって女性への入学資格を認め、門戸開放していた。

法文学部第一講義室にて開催された文芸講演会での斉藤茂吉の講演風景(1928年5月20日)。当日は法文学部教授の阿部次郎が挨拶し、斎藤茂吉「実朝の短歌について」、柳田国男「笑いの文学の起源」の講演が行われた。

<参考:東北大学百周年史1 通史1>