資料編|デルゲ版チベット大蔵経
デルゲ版チベット大蔵経 -東北大学附属図書館所蔵-
デルゲ版チベット⼤蔵経
チベット⼤蔵経。インドの仏典をチベット語に翻訳し、集成された経典集。サンスクリット原典が失われた多くの典籍をも網羅しており、仏教研究に⽋かすことができない。数多くの⼤蔵経のうち”最善本”とされるのが、東北⼤学附属図書館の所蔵する『デルゲ版チベット⼤蔵経』だ。
このデルゲ版チベット⼤蔵経を⽇本に請来したのは、多⽥等観。秋⽥の寺に⽣まれ、思いがけずチベット僧のために通訳のような仕事に就き、1913 年 23 歳のとき、ほぼはだし同然でヒマラヤを超えて単⾝鎖国状態のチベットに⼊国、その後 11 年間、チベットの寺院に⼊り仏教の研究、修⾏に勤しみ、チベット仏教で最⾼の学位、ゲシェーの称号を与えられたという何とも数奇な半⽣を辿った⼈物だ。
多⽥は、チベットの統治者、そしてチベット仏教の法王であるダライ・ラマ 13 世の恩寵を受け、⼀修⾏僧と法王、⼀学⽣と統治という関係では到底結び難い親交を重ねた。このダライ・ラマとの親密な交流により、多⽥は帰国の際、チベット⼤蔵経をはじめとした 24,279 部にのぼる貴重な経典や稀覯書を⽇本に請来することができたのである。
⼤正 12 年、帰国直後の多⽥等観
⽊版により刷られる⼤蔵経は、その版⽊の作られた場所が異なる複数の版が存在しているが、東北⼤学附属図書館の所蔵する版は、カム地⽅のデルゲ・ゴンチェンという寺で開版されたため、”デルゲ版”と呼ばれている。デルゲ版は正確な⽂典的校訂と、極めて鮮明な印刷技術により”最善本”とされている。あまりに美しい版であったため、願主デルゲの王は、この版を制作した優秀な版⼯の右⼿を切断し、他でこれ以上の美しい版ができないようにしたという伝説があるほどだ。このデルゲ版をチベット外の世界に初めて持ち出したのが多⽥なのである。
帰国した多⽥は、チベットより請来した経典などの整理、研究のために東北帝国⼤学に籍を置くこととなる。当時、地元仙台の学術振興のためにと多⼤な研究⽀援を⾏っていた齋藤報恩会は、デルゲ版チベット⼤蔵経の価値を認め購⼊し、東北帝⼤に寄贈することとなった。
東北帝⼤にて多⽥は⾃らの請来品の整理に取り掛かり、宇井伯寿らとともにデルゲ版⻄蔵⼤蔵経の世界初の⽂献学的⽬録の刊⾏、またチベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパやプトゥン、ダライ・ラマ著作全集などのいわゆる蔵外仏典 230 帙の⽬録「⻄蔵撰述仏典⽬録」を⽻⽥野伯猷とともに編纂する。
なかでも後者の⽬録は、それぞれの仏典名をチベット⽂字、チベット語のローマ字転写、⽇本語、英語の4つで表し、また英語にて出典である⼤蔵経との関係などの解説が付してあり、その収録数といい内容といい、それまで明らかにされていなかったチベット仏教の主要⽂献をまとまった形ではじめて明らかにしたという点で、⾮常に卓越した実績であった。
それらはまさしく、多⽥に仏教を教えることにより、チベット仏教を世に広く知らしめ、世界に平和をもたらしたいと願ったチベットの僧たちの思いに報いようとした多田の、半生を賭けた努力の賜物である。
帙ごとに板に挟まれて保管されている。中央には斎藤報 恩会の蔵書票が。
等観と宇井伯寿の⾃筆サインが認められた「⻄蔵⼤蔵経総⽬録」